お住まいの地域:兵庫県
治療を受けるまでの経緯
【2018/5/15】
人間ドッグ受診 PSA値10.2で再診指導。この時も重く受け止めておらず、再診対応を直ぐにせず。
【2018/6/29】
近畿中央病院で再診、血液検査。PSA値10.4
【2018/7/4】
近畿中央病院にて生検をすることに。
【2018/8/3〜4】
生検入院
【2018/8/17】
前立腺がんであると告知。その時の主治医の対応に不信感を持ち、セカンド・オピニオンを希望。
【2018/8/22 】
会社の先輩が前立腺がんを罹患していたことを知り、岡本先生の事を初めて知る。近畿中央病院より紹介状を書いてもらう。
【2018/9/12】
滋賀医大へ。結構、超高リスクの前立腺がんであると言われる。
治療前PSA:10.2
グリソンスコア:4+5
陽性率:50%(生検 12本中 陽性6本)
T分類:T3a
診断時年齢:62歳
触診の結果は?:超高リスク前立腺がんと診断
治療年: 2019年7月
治療後にどう感じましたか
治療予定の方は現在の気持ち
後述しますが、岡本先生と滋賀医大とが揉めており、本当に手術を受けれるのかどうかが不安でしたので、治療を受けれてホッとしたというのが本心です。
現在の経過、伝えたいことなど
差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。
現在の経過
2018/9/12 14.540
2018/10/4 13.661(ホルモン療法 開始)
2019/3/27 5.908
2019/5/29 0.078
2019/7/16 小線源手術
2019/11/2 0.006
2019/12/27 0.006
2020/4/16 0.007
2020/7/30 0.014
2020/11/5 0.056
2021/1/21 0.091
2021/3/25 0.145
2021/5/20 0.114(完治宣言)
2021/8/12 0.278
2021/11/18 0.228
術後尿漏れ等も全くなく、少し尿が細くなった事はあったが、排尿障害もなく、今は術前と変わりありません。男性機能は普通に勃起します。ただ射精はありません。
◎伝えたいこと
先日、私の中の母が亡くなりました。私が前立腺がんを罹患した時、自分がもう寝たきりになっていたにもかかわらず、私の病気の事を非常に心配してくれました。父も同じ前立腺がんでしたので尚更の事でした。でも岡本先生と言う必ず治してくれる先生、病院が見つかったよと報告するとホッとしておりました。
岡本先生にお会いするまでにネットで色んな情報収集しており、先生自身からも色々聞かせていただき(2019年の12月に岡本先生との契約終了)『へぇ、そんな対応する病院もあるんだ』と思っていたが、次の年の12月迄なら間に合うだろうと安易に思っていました。
又先生にも『大丈夫、私が必ず治してあげますから❗』と言ってもらい非常に気持ち的に安心出来ました。
この時に帰り際、妻が岡本先生に『よろしくお願いします。』と挨拶すると、先生はしっかりと妻の目を見ながら『こちらこそよろしくお願いします。』と力強く言ってもらえ、前の主治医との比較もあり、この先生に任せよう❗と夫婦共々思いました。
岡本先生の治療を受けられない
そんな私達家族に冷や水を浴びせる事が発覚しました。『岡本先生の治療を受けれない』2019年6月迄で手術、治療は終わり。既に先生の手術予約は6月迄埋まってました。ここから私と他の待機患者さん達との闘いが始まりました。
この時の詳細は又別の掲載されて記事等をご参照頂きまして、どうしても許せない滋賀医大の、人としてあるまじき者達に言いたいことがありますので、この場をお借りして書かせていただきます。
どうしても許せない滋賀医大の医師、個人的な気持ちだが、、
まずは塩田元学長。
彼につきましては会ったことも話ししたことも無いですが、自分の保身なのか手のひらを返したような岡本先生に対する仕打ち。その後ろに居る前立腺がんと言う『がん』に恐れおののき、最後の望みを岡本先生に託している患者無視。置き去り。人として許せない鬼畜以下です。
そして元医院長の松末。
人として患者を治療する立場の最高峰である病院長が、沢山のマスコミの方が取り上げているのにも関わらず、どうしてそうなったかと言う説明会見も一切実施しない無責任な対応。退院するときに『無事に手術も終わりまして、付きましては病院の長である院長にお礼を言いたい』と理由を付けて面会を希望しましたが、会うこともなく逃げられました。会ってガツンと言ってやりたかったです。
次に成田、河内両医師。
事の発端はこの二人で特に成田医師。自分の治療方法より岡本先生の小線源治療に優位性を間近に見て、頭を下げて教えを乞うことなく、一度の手術を見学しただけでこんなもの自分にも出来ると慢心。
本当に人として出来た人間、真の医師なら患者のためになる事は、立場が上であろうが下であろうがそんな事は関係なく素直に教えを乞えば良いものを、変なプライドが邪魔をしたのか、社会人としてこちらが恥ずかしくなる。
それを裁判所という公的な場で恥ずかしげもなく、嘘を並べる恥知らず。
聞くところによりますと、今も岡本先生のセカンドオピニオンを希望する患者に紹介を渋ったり、他の病院へも紹介しないように通達する、下品な言い方で申し訳ないが、『けつの穴の小さい奴』、本当に患者無視も甚だしい。
医療界は村社会で閉鎖的とはよく聞きますが、本当にあるんだと痛感します。患者ファーストは何処にいったんだ。恥を知れ❗
最後に河野医師。
彼は放射線科のドクターでずっと岡本先生とペアでやって来た先生。他の治療完了後の患者さんからの評判も上々。私の手術の時には他の先生で直接施術同席はしてもらってないですが、診察は何度もしていただき、非常に良い先生と感じていました。
放射線治療で1ヶ月ほどの入院中、1時間ほど私の病室でお話もしました。その時にこの彼も被害者なのかも知れないと思ってました。病院のトップである病院長にたてつくことは中々出来ないのは、サラリーマンである私にもよく分かります。
だがここは立ち上がって欲しかった。間違っているものは間違っていると。自分の子供に胸を張って、こんな凄い仕事をお父さんはしているんだよと言える様にして欲しかった。でも彼は保身を取った。それともうひとつ、彼はこの小線源治療の手術は自分も一緒に構築したと言う自負があったのでしょう。
しかしそこは冷静に判断して欲しかった。それを強く感じ、又彼に失望したのは裁判所での証人喚問の時でした。『この治療手術は誰でも出来る。岡本メソッドなんか存在しない』
河野さん、あなたは判断、決断を間違えましたよ。岡本先生と共に戦っておれば、確かにリスクはあったでしょう。次の職場の保証もない不安定な状態。でも心の中で『最も患者の為になることを俺は選択したか?正義を貫いたか?子供に胸を張って話せることを成し遂げたか?』私も裁判所の傍聴席に居て、なんか悲しくなり河野氏の後ろ姿を見つめていました。でもそんな彼をやはり許せない。
以上汚い言葉も混ざり申し訳ないですが、治療も終わり元の生活を取り戻せた今、もし岡本先生の治療を受けれてなかったらと思うとゾッとします。
そして私など比べ物にならないほどに沢山の理不尽、悔しい思いをした岡本先生の事を思いますと、本当に良く頑張られたと思います。お疲れ様でした。感謝の気持ちしかありません。今は宇治病院で小線源治療も無事再開でき、あの時の私の様に不安に晒されている人達を引き続き救いだしてくださってます。その為の協力は惜しみません。
患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?
私は 「はい、この治療を選びます」と答えた。
兵庫県 鳥居
兵庫県 鳥居さん、インタビューへの回答ありがとうこざいました。もしこの回答内容を変更したい場合は、再度ご記入いただければ、差し替えさせていただきます。
また、あとで私のコメントをここに記入させていただきます。