小線源療法+外照射 堺 尾田

カテゴリー: 外照射+小線源療法 滋賀医大

お住まいの地域:大阪府

治療を受けるまでの経緯は?

63歳で定年退職。在職時から継続的に受けていた人間ドックでPSAの4.0越えを指摘された。直後に受けた初めての生検では陽性部位は発見されず、医師とも相談の上で「監視療法」にて観察していくことにした。

ところが翌年の人間ドックにおいてPSAの急激な上昇、(具体的には7.8)、が見られ再生検を受けたうえでの手術を考えなくてはならなくなった。
治療法には全摘療法、密封小線源治療、放射線療法、ホルモン療法、あるいはこれらを組み合わせて治療する方法があることを知った。自分の寿命にもかかわる重大な決断が迫られていることがわかり、膨大な時間をかけて、資料の収集、分析に取り掛かった。
書籍、ネットはもちろんのこと患者の集まりである「腺友クラブ」とも連絡を取って、入会し、交流会や講演に出かけて、先輩患者の皆様のお話を聞いた。苦難の上でたどり着いたのが、滋賀医大(当時)の岡本先生の密封小線源治療だった。再発率のとびぬけた低さが選択のポイントだった。

 PSA:12.73
 グリソンスコア:3+4
 陽性率:34.6 %(生検 26本中陽性 9本)
 T分類:T2b
 診断時年齢: 69歳
 触診の結果は?:

治療後にどう感じましたか

治療予定の方は現在の気持ち

岡本先生の密封小線源+放射線治療の終了後、数か月おきに経過観察が行われています。PSAの値も多少のバウンスはあるものの1.0前後あるいは1.0以下をキープしており、順調そのものです。自分の選択が正しかったこと、岡本先生の施術が的確そのものだったことを確信しています。岡本先生はご自分の治療法こそが患者を救えるのだとの確信に基づいて治療にあたっておられます。また、ご自分のメールを公開し、直接患者からコンタクトできるようにしておられます。大学病院の医師でここまでオープンにしている人は知りません。患者を救いたいとの一念あればこそだと思います。

現在の経過、伝えたいことなど

差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。

小線源による手術、放射線治療ともに、滋賀医大の小線源治療学講座の閉鎖の直前の期間に受けました。たった1枚の告知文によって、多数の治療中の患者、手術待機患者を無視した、到底医療機関の対応とは思えない暴挙が行われる時期と重なりました。患者の皆さんがどれだけの労苦を重ね、時間をかけ、悩みぬいて岡本先生の小線源治療にたどり着いているのか、何らの配慮もない行為です。今からどうやって同じレベルの高度な治療が受けられるところを探せというのでしょうか。

私はその後の患者会の活動に積極的に参加してきました。集会、デモ行進、瀬田駅前と病院前でのスタンディング、ビラ配りなどです。裁判所へも何回も足を運びました。マスコミも積極的にこの問題を取り上げてくれましたが、残念ながら、最終的には大学側の方針撤回という成果は得ることかないませんでした。勝利を信じ、確信しながら行動したものにとっては、大きな喪失感を覚えざるを得ません。(宇治病院での小線源治療復活はこのうえない喜びであることは間違いありませんが)一つ不思議に思うことがあります、患者会の活動が活発化していく中で、放射線科の治療を受けながら、病院のスタッフに問題点について話をしたことがありますが、彼らは何の反応も見せなかったことです。患者に日々接しながらも、病院の職員として取るべき態度を理解していないのです。かん口令が敷かれていたことはわかります。それにしても、です。医療界の闇は医師のみならず、スタッフも包み込んでいるのです。

患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?

「はい、この治療を選びます」


堺, 尾田


 

堺, 尾田さん、インタビューへの回答ありがとうこざいました。もしこの回答内容を変更したい場合は、再度ご記入いただければ、差し替えさせていただきます。
また、あとで私のコメントをここに記入させていただきます。

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