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無理な要求で自殺も考えた…“名医”が滋賀医大病院を追われる理由
出河雅彦2019.6.3 16:00週刊朝日#病院
滋賀医科大学病院(大津市)が前立腺がんの放射線治療で傑出した治療成績を上げ、全国から患者を集めている医師の治療を打ち切ろうとしている。患者たちは署名活動やデモ行進までして治療継続を要請しているが、大学が方針を変える気配はない。
【患者会が行った、岡本圭生医師の治療継続を求めるデモ行進の様子】
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5月20日、大津地裁(西岡繁靖裁判長)が一つの決定を出した。滋賀医大病院が6月末で打ち切る予定だった前立腺がんの小線源治療について、7~11月の間、担当医の岡本圭生医師(58)の治療を妨害してはならないと大学側に命じたのだ。
岡本医師は前立腺に放射線源を埋め込む小線源治療の第一人者。2015年1月に同大がこの治療の研究、教育のために設けた寄付講座の特任教授で、1200人近い患者を治療している。
滋賀医大は17年12月、この寄付講座を「19年12月末に閉鎖し、岡本医師による治療は同年6月末まで、その後6カ月間は経過観察期間にする」と公表した。昨年12月に治療枠が埋まったことから、50~70代の患者7人が今年2月、岡本医師とともに「治療妨害禁止」の仮処分を申し立てた。大津地裁は「経過観察は1カ月あれば十分」という岡本医師の主張をほぼ認め、大学側の主張を退けた。滋賀医大は24日、記者の取材に「決定理由を踏まえて適切に対処する」と答えた。
裁判所への申し立てという、前代未聞の行動には切実な理由があった。7人はいずれも、治りにくいとされる「高リスク」の前立腺がん患者で、岡本医師の治療は高リスクでも再発する率が非常に低いからだ。
この治療がなぜ打ち切られるのか。きっかけは、小線源治療の経験がなかった泌尿器科の医師による治療を「医療安全上問題」と考えた岡本医師が阻止したことだったとみられている。
岡本医師によると、寄付講座ができて間もなく、泌尿器科でも独自に小線源治療を計画。岡本医師を特定した患者以外は小線源治療の経験がない同科准教授を担当医とした。
15年12月末、松末吉隆病院長の前で、「准教授の治療当日だけ立ち会い、指導するように」と泌尿器科教授から命じられた岡本医師は、自ら診察もしていない患者に危険が及ぶことを理由に拒否しようとしたが、聞き入れられなかったという。岡本医師は要求内容を塩田浩平学長に報告。学長は「病院のコンプライアンスと倫理的な観点からも、憂慮すべき事態になる」と、泌尿器科が行おうとしている治療への懸念をメールで岡本医師に伝えた。その後、泌尿器科が担当していた20人余の患者の診療は岡本医師が行うことになった。
岡本医師はこう振り返る。
「泌尿器科からの度重なる無理な要求で精神的に追い詰められ、心療内科を受診していましたが、教授の言いなりに准教授の治療に加担したら自殺するしかないとまで思い詰めました。職を追われることになっても、医の倫理に反する行為を止めなければ、患者の人権と医療を守ることはできないと考えたのです」
担当医が代わった事情を知った一部の患者は、やがて病院側に説明や謝罪を求めるようになる。
塩田学長は3年間の期限で設置された寄付講座の延長に前向きで、その要請を受けた寄付企業は16年末までに講座の継続を認める社内手続きを終えていた。だが、滋賀医大は17年7月に寄付講座の存続期間を「最長5年」とする学内規定の改定を行い、同じ年の12月、小線源治療の寄付講座閉鎖を公表した。塩田学長が判断を変更した格好だ。
公表直前の11月中旬、松末病院長の指示で岡本医師の治療予約システムが停止された。岡本医師によれば、事前予告はなく、約40日間の停止期間中、計268人の患者が次回診療日を予約できなかった。診療日予約のためだけに北海道から通院した患者もいた。
不信感を強めた患者たちは昨年6月、「滋賀医科大学前立腺癌小線源治療患者会」(会員約1千人)を結成。講座閉鎖は「未経験医師による治療という不当医療行為を組織ぐるみで隠蔽するため」とみて、説明会を開くよう再三要求したが、大学側は応じていない。
昨年8月、患者ら4人が泌尿器科の教授、准教授を相手取り、説明義務違反による損害賠償を求める訴訟を大津地裁に起こした。この訴訟で2人の医師は「治療の初期段階では岡本医師の指導で実施する予定だったので、未経験であると説明しなかったとしても必ずしも違法ではない」などと反論し、争っている。
患者会は昨年秋から署名活動を行ったり、デモ行進をしたりして岡本医師の治療継続を訴えている。今回の大津地裁の決定で、申し立てをした7人を含め数十人の患者が岡本医師の治療を受けられる見込みだが、講座閉鎖とともに大学との雇用契約が切れる岡本医師が治療と指導の場を確保できるかどうか不透明だ。
小線源治療は、転移がなく、がん細胞が前立腺内にとどまっているか被膜の外まで浸潤した患者が対象となる。直腸に入れた端子による超音波画像を見ながら、線源(長さ4.5ミリ、直径0.8ミリ)を50~120個、前立腺内に配置する。
岡本医師がこの治療を始めたのは05年。米国で開発された手法を学んだ。それは、線源を置くたびに放射線の線量分布の変化を確認しながら、治療計画に反映させる「術中計画法」と、前立腺の被膜ギリギリに線源を置く「辺縁配置法」だ。強い線量で確実にがん細胞を死滅させながら周辺臓器の被曝を最小限に抑えるという、相反する目標を達成するための改良を重ね、手順をマニュアル化した。
「辺縁配置と言っても線源をどこに置くかを含めすべての手順を明確に文書化したものがなかったので、尿道や直腸から離れた前立腺の辺縁部に高い線量域をつくるなど、治療手順を具体的に書きました。高精度の療法を広く普及させるためです」(岡本医師)
17年には高リスク患者143人の治療に関する論文を発表した。放射線を体外からあてる外照射とホルモン療法を併用するトリモダリティを用いた治療5年後の非再発率は95.2%。全体の6割以上はがん細胞が前立腺を覆う被膜を超えて広がった患者だった。
患者会代表幹事の安江博さん(69)はこう語る。
「岡本医師の治療は患者のQOL(生活の質)を維持するだけでなく、再発した場合の薬物療法の費用が不要という点で経済的にも優れています。大学を離れてしまえば教育の機会を奪われ、治療実績を基に論文を発表することも難しくなってしまう。『患者の最善の利益のために行動すべきである』と宣言した世界医師会の『医の国際倫理綱領』(1949年)に忠実に行動した医師が大学を追われるという理不尽なことが許されてよいのでしょうか」
(朝日新聞科学医療部・出河雅彦)
※週刊朝日 2019年6月7日号