トリモダリティ療法 神戸 宮内
お住まいの地域:兵庫県
治療を受けるまでの経緯
前立腺癌は、私にとって「家系の宿痾」と呼ぶべき病です。父系の伯父、叔父全てが前立腺癌を患いました。五十半ばで亡くなった父も、昔のことであり、確認はできませんが、おそらく持っていたと推察できます。今から思えばその兆候があったようにも思われます。したがって、自身の老後も、前立腺癌への応戦の巧拙に係っているという覚悟はありました。
55歳で前立腺がんの疑い
しかし、こんなに早く対応に迫られるとは、正直、思ってもみませんでした。会社での定期検診に前立腺癌マーカーPSAが加わる55歳で、いきなりの基準値超えです。おそらく、前年まで2年以上続いたシステム開発プロジェクトの激務が癌化を早めたように思えます。半面、若く体力のあるうちに応戦できることは、幸運でした。
緒戦は定期検診を受けた病院の泌尿器科での診察。MRI画像では、小さいながらも疑わしい影があります。前立腺肥大もなく、癌の可能性が高い。医師は当然のこととして針生検、手術を想定しています。しかし、ここです。応戦の巧拙が運命を決めます。じっくりと焦らず、シビアな判断を下さなければなりません。
幸い、私の癌も(癌だとしても)前立腺癌の例に漏れず、進行が遅い筈です。調べると、治療の主流である外科全摘手術、放射線外照射ともに、何割というオーダーで癌が再燃するようです。再燃すれば完治は望めず、男性ホルモン抑制という対処療法に頼るしかなく、やがてそれも効果がなくなり、男性ホルモン渇望により狂暴化した癌により死に至る、ということらしい。
ということは、この若さで治療を受け、例えば10年後に再燃したとすると、高齢者となって早々に、絶望の対処療法に頼ることになる。この賭けを受け入れることができるか、です。私が担当医にお願いしたのは、MRI画像とPSA値による進行状況監視でした。5年も経てばもっと進んだ治療法も現れるだろう、という皮算用もありました。
治療は賭けなのか?・・そして5年間経過観察を続けたが
そうこうするうちに5年の年月が過ぎ、2017年秋、PSA値がついに、限度と想定していた10を超え、MRI画像の影もくっきりしてきました。これ以上治療を先送りするのは得策でないようです。年齢も還暦を過ぎています。ところが、思惑は見事に外れました。月日は無駄に流れ、治療法といえば、相も変わらず外科全摘手術、放射線外照射の二本立てです。全国いずれの病院でも、外科全摘手術に手術ロボット“ダビンチ”を導入、と喧伝していますが、所詮原理的には全摘手術にすぎない。非再発率の向上は見て取れません。何のために5年待ったのか、との虚しさだけが漂います。
前立腺癌告知 グリソンスコア7
2018年夏にかけ、針生検、CT、骨シンチなどの検査で、ついに病状が確定してゆきました。やはり前立腺癌。悪性度はグリソンスコア7の中リスク、骨転移無し。
PSA:13.1
グリソンスコア:4+3
陽性率: %(生検 本中陽性 本)
T分類:T3a
診断時年齢: 55歳
触診の結果は?:岡本先生の総合的な判定として高リスク
前立腺癌 治療法の選択
外科全摘手術、放射線外照射の二択の提示 – 決定まで一か月の猶予
担当医からはお決まりのように、外科全摘手術、放射線外照射の二択の提示がありました。いずれの治療を選択しても、3割は再燃する。外科全摘手術ならPSAが落ち切らない場合も、放射線外照射の追加治療が可能だが、その逆は不可、ということで、外科全摘手術に傾きかけていたのですが、なお迷っている様子を見て取ったのでしょう、決定まで一か月の猶予をくれました。
しかし、何が再燃、非再燃の岐路を分かつのか、自分の場合どうなのか、はっきりした説明がないので(おそらく説明のしようもないのでしょうが)判断の寄る術もなく、まさに運を天に任せる、人生の大賭場に引きずり出された状態です。
何が再燃、非再燃の岐路を分かつのか、自分の場合どうなのか
猶予期限が迫る中、ふっと耳にした、当節セカンドオピニオンは当たり前、という声に促され、あまり期待もしないまま、ネット記事を拾い読みしました。そして「じじ..じぇんじぇんがん」のサイトに行き当たりました。サイトの内容が面白く、ついつい読み進んでしまいます。中に2017年大阪前立腺がんセミナー動画へのリンクがありました。これが岡本先生とのご縁を結んでくれました。先生の説明は明快です。再燃のロジックと、先生独自の治療の優位性が、理性を介して、ストンと腹に落ちます。この治療だ!これしかない!
滋賀医大病院、岡本医師に辿り着くものの
幸い担当医は快く、岡本先生へ紹介状を書いてくれました。ただ「滋賀医大当局の圧力で治療が受けられなくなる可能性が高いことを承知の上なら」という条件付きで。「じじ..じぇんじぇんがん」サイトの情報で、ある程度は認識していましたので、もちろん承知、と伝えると「治療を受けることが困難かもしれないので敢えて選択肢として紹介しなかった、完治させる力は確かに強い」との言い訳めいた言葉が返ってきました。
滋賀医大病院は、地域医療連携からの診察予約を受け入れてくれない
看護師さんから、地域医療連携で滋賀医大病院での予約を取る、と説明されたので待っていると、自身で予約を取ってもらうしかないようだと告げられました。滋賀医大病院中枢から岡本先生への嫌がらせが相当きつそうだ、予感の始まりです。
滋賀医大病院前立腺癌小線源治療学講座のホームページにしたがって直接先生へメールを入れると、受診予約を入れた旨の返信をいただきました。指定された検体などを持ち、滋賀医大病院へ。受付にちらっと顔をお見せになった先生を見て、この先生だ、ようやく探し求めた治療に辿り着いた、という実感が湧いてきました。
滋賀医大病院が患者の治療を妨害
私の治療予定が組めない事態に!
廊下に溢れるほどの経過観察の患者さんに交じって順番を待ち、診察室へと招かれ、先生の開口一番は、「現在病院が決めた治療継続期間内には、あなたの手術予定を入れるのは難しい」というものでした。病院は、2019年6月までしか、岡本先生の手術を認めない、以降寄付講座である前立腺癌小線源治療学講座(以下岡本講座と記述)設置期限の12月までは経過観察しか認めない、と通告していたのです。
楽観的な私は、何とかなるだろう、7月以降の治療希望者がどんどん増えてゆけば病院も折れるだろうと思い、早速トリモダリティ治療のうち、ホルモン療法を開始していただきました。因みに、トリモダリティ治療を受けることになったのは、先生のセカンドオピニオンにより、リスクが中から高に見直されたからです。後日談として、元の病院へ報告に出向いた折、元の担当医から、実は当方も高リスクが妥当かもしれないと考えていた、と言われました。何のことはない、もし岡本先生に辿り着けず、外科全摘手術を受けていたら、5割の確率で再燃する未来を背負い込んでいたのです。いや、ほぼ確実に再燃し、鬱々とした老後を過ごすことになっていたことでしょう。
なんと、手術日が決まらない 病院方針撤回を求めて、患者会による抗議活動
病院側の拒否により、手術日が決まらないまま、時間だけが経過します。そんな中でも、本当に驚くべきこと、前例を見ないこと、かつ我々待機患者にとって感謝しても感謝しきれないことですが、自分たちの受けた優れた治療を、後に続く患者たちにも受けさせたい、そんな思いで結びついた千人を超える患者会の皆さんが、病院方針撤回を求めて活動を続けてくださっていました。署名活動、病院前でのスタンディングによる抗議活動などなど。
病院が治療妨害に至った構図
そんな活動へ参加する中で、新参の私にも徐々に、病院が治療妨害に至った構図が見えてきました。
もともと独立して設置されるはずの岡本講座を、泌尿器科河内教授が無理強いに自分の傘下に置こうと策動したこと。・・・それがうまく進まないことに焦り、小線源治療希望患者を説明もないまま泌尿器科に取り込み、未経験の泌尿器科成田准教授に施術させようとしたこと。
それを察知した岡本先生の抗議による病院長の裁定により、一旦は諦めたものの、今度は腰の据わらない学長、病院長を抱き込んでの岡本先生の追い出しの策略です。
そして大学権力を笠に着て、その人事権を恣意的に振り回し、岡本先生の講座特任教授任期を区切った。その成り行きに味を占めて、手術期間をも制限するという悪乗りに及んだ。(なお、具体的な経緯は黒藪哲也著、緑風出版「名医の追放」に詳しく記述されています。あわせてその書評https://honto.jp/netstore/pd-review_0629966693.html も参考になります)
最長5年を期限とする寄付講座の規則改訂は、なんのため
患者会の皆さんの活動エネルギーも、先に述べたことに加え、病院幹部の仕打ちの理不尽さへの怒りから湧き出しているのが分かります。地位にしがみつき、更に権力権益を拡大させる欲に囚われ、患者を尊厳ある人格として尊重する、そんな医師として最低限の心構えを売り渡してしまった病院幹部への怒りです。
そもそも病院の、6月までの治療、それ以降6か月間は経過観察のみ、という宣言には何の根拠もありません。当事者である岡本先生は、病院設備を必要とする経過観察は1か月間でよく、その後はそのような環境がなくても可能とおっしゃっています。つまり、11月まで治療を続けても何の問題もないわけです。まして、2019年末での寄付講座終了という方針も、岡本講座を狙い撃ちしたとしか思えない規則改訂(もともと3年ごとの継続が前提であった寄付講座について、2019年12月で5年を迎える岡本講座に合わせたように最長5年を期限とすると規則改訂し、すぐに同講座に適用)を根拠とするものです。
治療継続を求めて大津地裁に仮処分命令申立て
病院の頑なな態度が続くなか、我々に一条の光が差しました。岡本先生と待機患者代表それぞれが11月までの治療継続を求めて、大津地裁に仮処分命令申立てを起こしたのです。もちろん待機患者のそれは患者会のバックアップあってのものです。訴因的に前例のない申立てらしいのですが、事の是非から言って、裁判所には必ず認めていただけるものと当初から確信を持ちました。
病院側もそう感じたものか、和解案を提示しました。内容は7月までの治療を認めるというもの。冗談もほどほどに、です。当然決裂です。
病院は患者の治療を妨害してはならない という裁判所の判断
患者会が病院方針撤回要求運動を続ける中、5月20日、仮処分決定の日を迎えました。裁判所に事情をくんでいただいた、迅速な決定です。岡本先生の申立てが認められました。医師としての裁量権が認められたのです。病院はその後、性懲りもなく保全異議申立てを行いましたが、退けられました。我々は治療が受けられることになったのです。
私は家系の宿痾と闘う覚悟はしていました。しかし、病院組織の宿痾との闘いなど想像だにしませんでした。岡本先生と共に闘うことにより、それぞれに打ち勝つことができたのです。
治療後にどう感じましたか
治療予定の方は現在の気持ち
治療から2年が経過し、私はQOL、生活の質をそれほど落とすこともなく、まして再燃の不安を抱くこともなく、快適に暮らしています。気になることといえば、切迫尿意ですが、これは処方いただいたベオーバ錠で症状を抑えられますので、遠出の際も安心です。また、治療の晩期障害で断続的に軽度の血尿がありますが、そのうち治まるだろうと気軽に考えられるのも治療への信頼があるからです。
現在の経過、伝えたいことなど
学長を含めた病院幹部への憤り
治療を妨害された身として、学長を含めた病院幹部への憤りを忘れたわけではありません。岡本先生、患者会の皆さんの超人的な頑張り、支えがなければ、我々待機患者は病院幹部により過酷な運命を背負い込まされるところだったのです。私はまだしも、待機患者仲間には、岡本先生でこそ再燃率を極小化できる人たちが多数います。我々には怒る理由があります。権利もあるでしょう。恣意的に過酷な運命へ追い込もうとした張本人へ、怒りをぶつけない人はいないでしょう。それが不可抗力から起こったことなら、やがて怒りが治まることもあるでしょう。恣意的だからこそ、怒りが永続します。
滋賀医大病院幹部は、患者の命より他のものを守ろうとしている
河内教授が自らの権力欲、保身から恣意的に岡本講座を閉じようとしたことへの怒りです。我々患者の命を、自らの権力欲、保身と引き換えにできる程の、取るに足らないものとして扱ったことへの怒りです。恣意的であることは、我々の思い過ごしではありません。仮処分命令申立てとは別に、患者が病院幹部に対し、説明義務違反に対する損害賠償請求を求めた民事裁判を起こしたのですが、その審理の中で、岡本講座を恣意的に閉ざすために大学、病院幹部、河内教授が講じた策略が白日の下に晒されたのです。以下、それら策略を判決文の中から拾い、要約してみます。そう、判決文の中から、つまり裁判所が認定した事実です。
河内教授は、岡本(小線源治療学講座)を無理強いに自分の傘下に置こうとした
まず、事の起こり、河内教授が岡本講座を無理強いに自分の傘下に置こうとした策動について、もともと岡本講座に対する河内教授の権限は泌尿器科における教員、医師らに対する管理監督と同様のものではなく、岡本講座が放射線治療で、泌尿器科が手術治療で前立腺がん治療の拠点となるという目的に資するよう、必要な協力を提供するなどする範囲に制限されていた、と認定した。つまり河内教授の矩を超えた無理強い行動が、我々が長い闘いに引き込まれる元凶だったことを裏付けています。
大学、病院側の主張は、公平性、冷静さに欠けるものである
また、大学、病院は、岡本先生の治療において、有害事象が報告されているとして、事例調査検討委員会なるものを立ち上げましたが、その報告書はなんらの具体的な検証内容も示しておらず、評価に値しない、と判決文は切り捨てています。つまり、大学、病院は、岡本先生の治療を行わせないために、組織ぐるみで言い掛かりを付けたのですが、言い掛かりを裏付ける事実は、何もなかったのです。ここでも、姑息な手段によって、我々の治療は切り捨てられようとしたのです。
さらに大学、病院は、小線源治療においては泌尿器科医の特に高度な手技は不要である、したがって岡本先生の治療停止は患者に不利益を与えるものではない、との主張を展開しましたが、裁判所は手技の詳細を吟味した上で退けました。もともと自分たちが看板にしようとした岡本先生の技術を、都合によって貶めようとするのですから、ここまでくると、本当にさもしい限りですね。
教授の疑惑行為、病院が裁判対策として積み重ねた多くの噓
また判決文には、原告側が提出した河内教授の疑惑行為の証拠、証言が採用されています。それは、大学当局に提出された河内教授および岡本先生両名署名の有印文書が、実は岡本先生による押印ではなく、岡本先生の意思で作成されたものでないと認めています。この偽造に関しては、患者の性機能アンケート偽造と合わせて、刑事事件として告訴、書類送検されたのですが、取り調べの中で、河内教授はどうも無関係な病院職員を道連れにしたようです。このような上司を持ったことは、職員にとって全く身の不幸ですね。
判決文では、これ以外にも大学、病院が裁判対策として積み重ねた多くの噓を退けています。治療妨害と直接には関係しないので取り上げませんが、「前立腺がん小線源治療患者会」のサイトに詳しい解説があります。
患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?
私は 「はい、この治療を選びます」と答えた。
神戸 宮内
神戸 宮内さん、インタビューへの回答ありがとうこざいました。もしこの回答内容を変更したい場合は、再度ご記入いただければ、差し替えさせていただきます。
また、あとで私のコメントをここに記入させていただきます。