お住まいの地域:三重県
治療を受けるまでの経緯は?
<前立腺がんの診断までの経緯>
2022年(当時62歳)春の人間ドッグでPSAが4.3と基準を超えたため、二次検査の指示を受け以前入院経験のある愛知県の病院にて生検を受けることにしました。
7月22日 検査入院し初めて前立腺の生検を受けましたが、とにかく痛くてもうやりたくない検査ですね。
8月1日 家族と海外旅行に行く直前に診断結果を聞きに病院に向かうと、12か所の生検の左側6本のうち4本で悪性、うち一か所は悪性度が高いグレード9ということで前立腺癌確定、旅行から帰国後に骨などへの転移の検査を行うこととなりました。信じられない気持ちだが受け止めるしかないと自分に言い聞かせ旅行に向かいましたが、心中穏やかではありませんでした。
8月19日 骨シンチと造影剤による検査を受けて、8月26日検査結果を聞きに行くと一枚の紙を手渡されて、今後の治療方針について説明を受けました。骨への転移はないものの閉鎖リンパ節へ1か所転移があり、この時点で前立腺撤去の手術はなしで今後ホルモン治療によりPSAを下げて4か月くらい投与後に癌の大きさを再度検査し、外部からの放射線治療を行うかどうか決める。それでも癌が広まるようであれば抗がん剤の投与となり余命2,3年となるとのことです。一枚の紙切れに自分の余命まで書かれているのはさすがにショックでしたが、まだ自分事ととらえられていない感覚を覚えました。
3月の人間ドック時点でPSA4.3だったのが、もうリンパ節にまで転移とはレアケースだとの説明も受けました。
8月30日に家族のツテで三重の大学病院の教授にセカンドオピニオンをお願いできることになり、早速主治医にセカンドオピニオンの申し入れを行うことになりました。
<セカンドオピニオン 三重の大学病院>
9月9日に三重の大学病院にてセカンドオピニオン受診。
グリソンスコアが最初の病院では4+5=9 グレード分類5となっているが、セカンドオピニオンでの検証の結果4+4=8 グレード4ということで見直し判定があり、良い兆しが出ましたが、多分4と5の間くらいなんだろうと思いました。
現在の病気のステータスは前立腺内に存在→T2 リンパ節に10mmくらいの大きさの転移ありN1で T2N1M0というステータスになるとのことでした。
治療方針としてはホルモン治療を4~6か月継続し放射線治療(前立腺+リンパ節)により根治を目指す、これで2年間様子を見て、2年経過後の次の1年でPSAが上昇するようなら新規ホルモン剤の投与を検討(PSMA―PET)再度の放射線治療も検討可能とのこと。
基本的な内容は最初の病院とあまり変わりませんでしたが、セカンドオピニオン診察後に腺友倶楽部のお話を伺い、帰宅後早速入会手続きを行い、自己紹介メールを会員向けに送ったところ何件か返信をいただき、岡本先生という素晴らしい先生が関西にいらして是非受診すべきだというリコメンドをいただきました、
<ホルモン治療開始>
9月12日初回のホルモン注射
このタイミングで主治医の先生は転院とのことで、今回の前立腺がんを見つけてもらったことへの感謝の意をお伝えしましたが、大きな病院では仕方のないことですね。
次の先生は、10月13日に受診することとなり、いつものように血液検査をすると、AST,ALT数値が上がっており、このままでは肝臓が悲鳴を上げる様子で次のホルモン注射までの一か月は待てないので次回早めに肝臓のみ再診断することになり、それまでウルソを毎食後、3回/日服用するよう指示を受けました。
次回24日に診断、血液検査を行ない、肝臓の数値を確認すると更に悪化していてALTは193まで上がり、このまま継続はできずいったんビカルタミドを中止。リュープリンは一か月分の薬が注射で入っているのでまずはビカルタミドを止めて肝臓の数値を見る。
「これで下がらなければ、リュープリンも停止せざるを得ず、その場合はタマタマを取ることになりますからね」とショッキングな説明を受けました。
<10月25日 腺友倶楽部理事長とズーム電話相談会実施>
前立腺+リンパ節転移一か所であれば通常ホルモン治療+外部照射をやるのが一般的。
岡本先生の信奉者が腺友会にはいるが、それはあくまでも低中リスクには効果が高いものの高リスク患者の場合、その結果はほぼ同じくらいではないか。副作用はトリモディリティの方が強く出ると思う。
外部照射を検討するならJASTRO認定施設が基準になる。愛知県の場合、愛知がんセンター他14施設 三重県は三重大学病院含めて3施設ある。
というアドバイスをいただきましたが、自分としてはどうしても岡本先生のお話が聞きたいと思い、直接先生とメールにて連絡が取れるという話なので早速コンタクトさせていただきました。
お忙しい日々を送られているにも関わらず翌日には岡本先生から返信をいただき、私のようなリンパ節転移の超高リスク患者でも岡本先生の小線源手術であれば制御可能という力強いお言葉をいただき、早速受診の予約を入れさせていただきました。
<主治医にサードオピニオンの意向を伝える>
三重の大学病院でのセカンドオピニオンに続き、京都の宇治病院へのサードオピニオンで小線源治療の話を聞きたいと申し出たところ、主治医は「そんなにあちこち手を拡げていい所取りをしようとしても私は責任負えないよ」とあきれたような反応をされました。
「トリモダリティって小線源、外部放射線治療、ホルモン治療のいい所取りをした治療方法だと思いましたがこの先生はそれを否定するのか」、「ホルモン治療一択と言っている先生に私の癌治療の責任を負ってくださいなんて思ってもいない」と残念な気持ちでいっぱいになりましたが、何とか受診予約日に持っていくプレパラートをもらわなければならないので否定的な対応を見せる主治医に丁重にお願いしてサードオピニオンというかもう転院する気持ちで病室を後にしました。
<11月2日宇治病院、岡本先生受診>
血液検査でPSAは0.095、肝臓の数値も回復基調
その後造影剤によるMRIを行うが、これでリンパ節の幹部が小さくなっていれば、やはり転移しているということ
画像による判断ではリンパ節転移部分はかなり不明瞭になっており縮小しているとのことで、このくらいのPSA値で転移まであるのは、やはりレアなケースでそれだけ悪性度が高いということ。
岡本先生からは「他の治療方法では治らないが、岡本メソッド(高線量の小線源治療と骨盤内外照射+短期間のホルモン治療)を行えば治る」というありがたい言葉をいただくことができ「岡本先生のこの言葉を自分は探し求めていた。それが仮に100%ではないことは承知で可能性が少しでもあるのであればそれに賭けたい」という患者の気持ちに沿った治療方法を提供いただける先生に初めて出会うことができました。ここまで来るのに紆余曲折ありましたが、ようやく治療方針も決まり、外照射は過去にも実績のある三重大学病院に依頼する方向で決まりました。
最初の病院でのホルモン治療も一旦終わり、23年2月15日にPAS値と肝臓の数値を確認し、同年6月9日にプレプランニング、6月25日~小線源手術に決定。
<11月14日9時30分、主治医に報告>
いつもの通り血液検査を行い、「開口一番、肝臓の数値が正常になりました。よかったね~、これでタマタマを取らなくてもいいよ」この前もこの話はくどいほどしていたが、この先生はタマタマを取ることにかなりこだわりをもっているなと。こちらは全くその気はないのに。
「宇治病院に行って小線源治療の話をいろいろ伺い、自分と同じような症例で完治した実績があるということで自分としても小線源治療を受けようと思います。」とストレートに言ったところ、岡本先生に書いていただいたレターを詳細に読みだして、症例のところの論文URLを記載しながら「ホルモン治療を一旦取りやめるというのはどういう意味?」と聞いてきたので「小線源治療のスケジュールから逆算して2月15日に宇治病院に行ってPSAを測定し、その日からリュープリンを再開するかどうか岡本先生の判断に従います」と伝えたところ少し動揺した感じで、「そうするとウチの病院としてどのようにかかわっていけばいいのかな?」こちらは転院するつもりで話をしているが、先生は一向に転院とは認めず、どのようなかかわりにするのかを模索する感じで、「では、6月末の小線源治療が終了したら、これは短期間のはずだから、その翌週の月曜日に採血含め診察予約を入れておきましょう。7月4日月曜日9時30分ね」と言って強引に予約手続きをされたのでその日は一旦引き上げて後日予約をキャンセルさせていただきました。その後、この主治医の先生も転院することになったので、それ以降は最初の病院には行っておりません。
<宇治病院で治療開始>
2023年2月15日リュープリンとビカルタミドの代わりにゾラデックスとオダイン錠を服用開始。前回ビカルタミドで肝臓の数値が急上昇したため、今回はオダインに切り替えてもらえたが、1日3錠、毎食後のところ朝の服用はやめて昼と夜のみで様子をみることにしました。3月15日、PAS値が0.339まで下がり、肝臓の数値もASTはほぼ基準範囲で岡本先生も問題なしとのこと、ALTは許容範囲。
6月25日いよいよ宇治病院に入院、自家用車で高速を運転しながらあっという間に宇治東に到着。日曜日の病院はほとんど人がいませんが、入院患者の対応のため受付は開いており、まずはコロナの抗原検査とPCR検査を受けました。
実は6月上旬にコロナ感染しており、その影響がどの程度残っているか不安でしたが、抗原検査OKということで無事に入院病棟に案内されました。
初日は食事も風呂もなく、ひたすら腸内洗浄の水を2リットル飲み続けると途中で気分が悪くなってきましたが、我慢して最後まで飲むと、しばらくしてトイレに駆け込むこと十数回、
翌朝はダメ押しの浣腸をされて更にトイレに駆け込むともう水しか出ません。あとは岡本先生の神業に運命を託すのみです。歩いて手術室に向かうと初めての脊髄注射を受けて5分位すると下半身の感覚がなくなり、あとは看護師さんたちに態勢を整えてもらい約2時間強の小線源手術となります。麻酔をかけても意識はあるので先生方の会話や手術の音はクリアに聞こえます。「精嚢にも入れておくか」とモニターを見ながらその場でジャッジして進められて行く。「もう少しで終わりますよ」と言われ、少し麻酔も切れてきたのかシードを入れるときに軽い痛みを感じるようになりました。無事に終了し、ベッドに寝たまま部屋まで運ばれ、そのまま朝まで寝たままの状態を保つ、トイレは尿管から直接出てますが、これが結構きつくおしっこをしたいのになかなか出ない感覚があり、実際には尿管を通じて溜まれば外に出る形になっているようでした。
早く朝にならないか、ほとんど眠れない状況で朝を迎えることになりましたが、
おなかが痛くてどうしようもないが、何も食べてなくても腸がギュリュギュリュと動くのが分かるような感覚で、9時からの検査も無事終了し、退院準備OK。
このまま運転して帰れるだろうかと不安でしたが、軽めの朝食を食べたら何とかパワーが戻ってきて、三重に向け出発。これで第一関門の小線源手術を終えました。岡本先生からは「放射線治療は線量が全てなんですよ。最大限の線量を安全に当てることができるのが小線源治療の強みなんです」という言葉を思い出し、設置したシードがこれから1年間癌細胞に放射線を当て続けることで前立腺内の癌についてはほぼ完ぺきに対処できたという安心感で一杯でした。次は骨盤内照射による転移個所への治療です。
PSA:
グリソンスコア:4+5
陽性率:33.3%(生検12本中:陽性4本)
T分類:T2N1M0
MRI検査:リンパ節転移1か所
診断時年齢:62歳
触診の結果は?:少し硬いところがある
治療後にどう感じましたか
治療予定の方は現在の気持ち
癌の告知を受けて以来、紆余曲折があったものの岡本先生にたどり着くことができトリモダリティー治療を受けることができたのは本当にラッキーであり幸せなことです。
IMRTや重量子線などの場合、2年近くのホルモン治療が必要でそれも含めて5年非再発率で岡本先生のトリモダリティと比較するのはまやかし以外の何物でもないと岡本先生が言われていましたが、本当にその通りだと思います、
権威や権力に徹底的に対峙し、患者のことだけを考えて突き進む岡本先生のような方こそ、本当の医師だと思います。時を遡れたとしても、この治療以外は考えられません。
現在の経過、伝えたいことなど
差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。
23年8月7日三重大学附属病院にて放射線治療の説明を受ける。
23年8月14日から外照射開始。
23年9月25日三重大学附属病院、放射線治療25回目終了
今日でようやく放射線治療から解放されました。
<その後の経緯>
24年8月27日 0.037
24年11月26日 0.08
25年2月25日 0.089
とPSAも低めに推移しており、次回は25年5月末の検査予定
患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?
「はい、この治療を選びます」
三重 中谷
三重 中谷さん、インタビューへの回答ありがとうこざいました。もしこの回答内容を変更したい場合は、再度ご記入いただければ、差し替えさせていただきます。
また、あとで私のコメントをここに記入させていただきます。